マツガクニュース
創立128周年記念行事
- 2019.01.15
- ニュース
本校は1月14日で
創立128周年を迎えました。
〔早天礼拝〕
7:00~
まだ暗いうちから準備が始まりました。
軽音楽部や宗教委員は6:30に集合でした。
司会を担当したのは
宗教委員会の副委員長です。
「神に選ばれた城南」という題で
聖書科主任の辻村牧師が
説教を担当しました。
参加者は生徒・教職員あわせて148名でした。
早天礼拝の後には、
食堂で「芋がゆ」が振る舞われました。
夜学校時代の生徒たちは、
授業の前に芋がゆを食べて
学習に取り組んでいました。
その歴史を追体験する大切な
「芋がゆ」をみんなでおいしくいただきました。
〔記念礼拝〕
9:00~
祈念礼拝が行われたチャペル。
司会を担当したのは宗教委員会の委員長です。
聖歌隊による賛美
宗教主任の相澤牧師による説教では、
城南高校の歴史を写真で振り返りながら、
聖書の言葉を聴きました。
創立記念をお祝いして、
本校では毎年紅白の「労研饅頭」が配られます。
○労研饅頭の由来○
1923年、本校(松山夜学校時代)の
数学教師になった竹内成一氏は、
昼間は松山女学校(現在の松山東雲学園)
でも教えていた。
1932年、労研饅頭製造視察のために、岡山へ。
当時、倉敷労働科学研究所では、
満州(現在の中国東北部)の人たちが
主食としていたものを取り入れ、
日本人の食べ物になるよう研究していた。
竹内氏は、ここでその饅頭の製造方法を見学。
松山に帰って、松山夜学校の奨学会を組織し、
その一事業として労研饅頭の製造販売を提案。
一人でも多くの青年に教育を受ける
機会を提供するためである。
松山教会の青年、
村瀬宝一氏が饅頭製造の技術を習得し、
製造主任になる。
竹内氏が総責任者、村瀬氏が製造主任、
生徒9名が従業員となり、
松山夜学校奨学会が組織され、
「満禱団」と命名。
1931年10月、製造開始。
珍しいのとおいしいのとで評判は良かった。
後に村瀬氏は独立し、
菓子製造販売業を開始。
これが現在の六時屋の始まり。
この奨学会の働きによって、
学資の乏しい生徒が可能な限り集められ、
働きながら学ぶことが出来た。
1937年まで継続。
その後、社会情勢と経済的行き詰まりのため、
奨学会は解散。
労研饅頭は竹内氏が個人的に引き継ぎ、
今日も製造されている。
(「松山城南高等学校創立100周年記念誌
松山城南百年の譜」)
いつも式典の前日に労研饅頭の
クラス分け作業をするのですが、
今年は新しくできた寮で、
その作業をしました。
先生たちに混じって作業をしているのは、
バスケットボール部の生徒です。
寮生活の中で誰かのために働く
奉仕の心が磨かれた瞬間でした。
手伝ってくれて本当に助かりました!!!